風鈴

5月なのに 暑いですね

今年の夏は 例年になく
暑いですねという枕詞は
何時いつごろから 言い出したんでしょう
 
30年位 前でしょうか?
テレビのインタビューで
関西のおばちゃんが
 
『今年は 暑いですね〜』
という質問に
 
お日様を見上げながら
『ほんま あっついわ〜〜
 何考えてんの』
 
と 言っているのを
笑いながら見ていましたが
 
近頃では 笑うどころか
自分が お日様に向かって
『 お前 なん考えとうとや』
と 言いたくなるくらい
暑い日が続きます
 
 
私が 子供の頃は
風鈴から聞こえてくる
チリン〜  チリン〜〜
という音を耳にして
 
暑さの中にも
一時いっときりょうを感じたものです
 
 
近頃では 風鈴の音がうるさいと
近所からのクレームで
風鈴をつるせないと・・・
 
世知辛せちがらい世の中に
なったものだと
寂しくなります
 
 
目を閉じて 風鈴の音を聞いて
ほんのちょっとの間
涼を感じられる
 
 
そんな 心の和む
世の中になってもらいたい 
ものですね
 
 
では私の一句
 
風鈴の  すずやかな  風のこえ
 
 

中村天風  私は力

中村天風という人を
ご存知でしょうか?

事業家であり
思想家でもある彼は
若い時に 結核になり

医学では治す事が出来ずに
インドでヨガの聖人
カリアッパ師の弟子になり

厳しい修行と心を鍛えることで
結核を克服しました

天風は
インドで修行をしていた時
ヨガの聖人達の
悟った言葉が

あちらこちらの岩に
刻まれていました
その中の一つを元に
力の誦句しょうくを創りました

 

私は 力だ
力の結晶だ
何ものにも打ち
力の結晶だ

だからなにものにも
負けないのだ
病にも 運命にも

否 あらゆるすべてのものに
打ち克つ力だ
そうだ
強い 強い  力の結晶だ

力強い言葉ですね

私も 17歳の時に
原因不明の病気を発症し
55歳の今も時々

この病気に悩まされています

これを書いている今も
胸に激痛があります

4~5日の間は
食事を摂ることも
横になることも出来ません

最初はなぜ自分が
こんな病気になるのか
こんな痛い思いをするのか

天を恨んだものです

今でも完全に病を
受け入れられた訳では
ありませんが

これも天の与えし
運命というよりも
天に与えられた

私の課題だと思って
病気と付き合っています

とみおごるなきはやす
まずしくてうらみなきはがた

この言葉を元に私は

すこやかにして奢るなきは易く
みて恨みなきは難し

という言葉を創って
病気になった時には

この心境で
力の誦句を何度も
心で唱えるようにしています

声を出すと
痛みが増すので

この病の時ほど
明石家さんまさんの
座右の銘である

生きてるだけで丸もうけ

この言葉が心にみる時は
ありません

生きてる事の有難みを
噛み締めながら

又  しばらくの間
痛みに耐えていこうと
思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


才能と人徳

徳は才の主  才は徳のなり
 
菜根譚の一節です
 
人徳は才能の主人であり
才能は人徳の従者である
 
世の中を渡って行くには
何が必要でしょう?
 
自分の選んだ職業によって
色々な才能が必要とされます
 
しかし 才能だけでは
中々 成功出来るものでは
ありません
 
人徳というものが
大切になってきます
 
才能を鼻に掛け
人と協調する事をおこたれば
何事も上手く行きません
 
そののうほこれば そのこううしな
 
 
人よりも才能があるからと
自分の能力をひけらかし
協調せずにいては
良い仕事は出来ません
 
前にブログで
V S O P の時に書きましたが
 
やはり この世の中では
才能よりも
社会で通用する人間性
 
人徳というのが大事だなと
改めて 感じます
 
才能はあくまでも 従であり
主は やはり人徳ですね
 
四月になり、二十四節気の
清明も過ぎましたが
 
雨と花曇りの日が多く
桜も まだ五分咲きと
いうところです
 
 
では一句
 
五分咲きに もっとさけさけ 日本酒さけはな
 
 
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静にして幽なり

軍に将たるの事は 
せいにして ゆうなり

 
孫子の兵法へいほうの一つです
 
 
軍を率いるときは
冷静であること
 
作戦は心に深く秘めて
軽挙妄動けいきょもうどうはしない
 
 
現代の会社経営にも
通じるところがありますね
 
会社の経営にいたっては
常日頃から 冷静でいる事
 
動揺や不安を顔や態度に
出さない
 
何か起こったときの対処法を
常に考えて準備しておく
 
不測の事態が起こったら
速やかに対処し
問題を解決する
 
言うは易く 行うは難し
 
わかってはいても
中々出来るものでは
ありませんね
 
 
会社の経営者だけではなく
各人 一人一人が
自分のポジションで
 
起こり得る事を考えて
予め 対処法を用意して
おくのは 大事な事です
 
何か問題が起こった時に
困らない様に
バタバタとしないでいい様に
 
常日頃から
色々な事を考えておくのは
大事な事ですね
 
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いい季節?

花朝月夕かちょうげっせき
 
 
花の咲く春の朝
名月の照らす秋の夕べ
 
春秋の気候の良い頃合いを
あらわした言葉ですが
 
近頃の春先を表すのに
ぽかぽか  あたたか  のどか
こんな言葉がしっくりきません
 
そんな世の中になったなと
年年歳歳     感じます
 
春夏秋冬  四季の移り変わり
などというのは 最早
遠い昔の事のように思われます
 
 
梅花和雪香
 
 
梅花雪ばいかせつしてかんばし
 
青空を背景に鮮やかに咲く
梅の花は綺麗なものです
 
しかし
やっと咲いた梅の花に
突然降ってきた雪が積もる
 
折角せっかく咲いた梅の花がと
思われる方も多い
ことと思いますが
 
 
雪の降り続くなか
りんとして咲き続ける
梅の花に
 
自然の美しさや力強さ
そして 自然の厳しさを
見ることで
 
 
この世の理とは何なのかを
教えられた気がします
 
 
梅の花  一輪咲いても  梅は梅
 
幕末新撰組 土方歳三の句です
 
 
では私の句を二つ
 
そよ風に   なびくや白き   梅の花
 
紅梅を  ひきたたせるや   牡丹雪ぼたんゆき
 
 
 
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えにし

えんは異なもの 味なもの
 
縁とは不思議なものです
 
言葉で説明するのは
難しいものです
 
 
同じ時代に
同じ場所に生まれ
同じ学校 同じ会社
同じマンションに住んでいても
顔も名前も知らない人がいる
会う事もない人がいる
 
それなのに
 
 
国名も知らず
興味もなかったのに
友達に誘われて
旅行した先の国で
 
一生を共にする人に出会い
後の人生をそこで過ごす事になる
 
 
自分の天命を見つけて
そこに骨をうずめる事となる
 
 
人の縁というものは
ほんとに 不思議なものですね
 
 
いつもの道を歩いている時
ちょっと肩が触れ合う
 
慣れた道を歩いていても
つまづく石もある
 
それらには 何か
縁が あるんでしょうね
 
肩が当たったとか
石につまづいたといって
怒るのではなく
 
何か 縁があるんだなぁと
 
肩の当たった人や
つまづいた石に
微笑んでみてください
 
この世で出会う総てのものに
親しみや いとしさを
感じるんじゃないかと
思います
 
 
袖振そでふりあうも 多生 たしょうの縁
つまづく石も  縁のはしくれ
 
 
縁 あって夫婦めおと
となり
縁あって子供を授かる
本当に縁というものは
ありがたいものですね
 
この世で出会えた総てのものに
感謝ですね

 
 
 
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春色に高下なし

春色無高下、花枝自短長

春色しゅんしょく高下こうげなく、花枝かしおのずから短長たんちょうあり

 

春の陽差しは分け隔てなく
平等に降り注ぎますが
花には綺麗に咲くものもあれば
そうでないものもあります
枝にも長いもの
短いものと差がでてきます

 

平等即差別、差別即平等
この世の中は、平等と差別が渾然こんぜん一体となって
成り立っているのだという事をあらためて感じます

 

近頃の地震や台風などの災害を見ていると
ほんの数秒、ほんの数百メートルの差で
命を落とす事もあれば、何事もない場合もあります

本当にこの世は無常だなとつくづく思います

では私の一句

人の夢  なんとはかなき  思いなり
この世のことは  夢のまた夢

 

 

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大酒飲み

孔子が、地方の役所に赴任するために
弟子たちを連れて 赴任先を訪れた時
その地方の豪商が

「都から、高名な孔子がやって来る」
というので、ご馳走をして話を聞こうと
屋敷に招いたのですが

いつまでも酒を飲んで
一向に 話をしてくれません
しびれを切らした豪商が

「先生のようにお偉い方でも
酒をこんなに飲むのですね」
と皮肉を込めていうと孔子は

「 酒その量を定めず」というと続けて

 

「そこの弟子のように
猪口ちょこ一杯で酔う者は猪口一杯のみ

三合で顔に出る者は三合まで

しかし私のように 幾ら飲んでも酔わず
顔にも出ず、乱れる事がなければ
酒は幾ら飲んでも良い

酒その量を定めず」と

 

物は言いようですね
孔子の言葉だからいいようなものの
我々が言ったらどうなることやら

 

私はお酒が好きな方なので
この孔子のエピソードは
一番好きな話なんですね

まあ、酒のお強い方も大勢いらっしゃるでしょうが
何事も ほどほどに

花は半開を、酒は微酔びすいに飲む

 

花を見るなら五分咲きが
酒を飲むならほろ酔いまでがいい
というものです

 

お酒飲む人 花ならつぼみ 今日も酒酒さけさけ  明日もさけ

お酒飲む人 花なら蕾 今日もけ 明日も

 

 

 

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備えあれば

やすきにりて危うきを思う

 

何事においても危ない時には
気を引き締めて事に臨みます
安泰な時には気がゆるむものです

 

しかし、状況が下降かこうし始めてから
手を打ったのでは遅すぎます

良い時に次の一手を打っておく
悪くなった時に備えて
早めに次の種まきをしておくこと
そこが重要ですね

安きにりて危うきを思う

備えあればうれいなし
日頃の心構えをしっかりとしておきましょう

 

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一休宗純 盲目のしん

一休宗純に妻がいたか どうかは
意見の分かれることと思います
 
一休禅師の時代に禅僧が
正式に妻をめとることは
出来なかったでしょう
 
しかし 一休禅師には 
晩年を共に過ごした 
四十以上も年の離れた
女性がいました
 
俗に 盲目のしん と呼ばれる
女性です
 
一休禅師は
この盲目のしん について
 
老いさらばえて
ただ  死に行くのみと
思っていた私に
 
生きる喜びを
思い出させてくれた
 
この気持ちに報いねば
人として生まれた意味がない
 
こう言って ひがな一日
しんと二人で過ごしたそうです
 
困り果てた弟子達は
大寺の住持や高僧に
集まってもらい
 
一休禅師に意見をしてもらいました
 
 
女は不浄な者
まして 大徳寺の住持たる
一休禅師が それでは
下の者に示しがつきません
 
これを聞いた一休禅師は
 
女を不浄な者というか・・・
 
そう言うと
一つの短歌を詠みました
 
女をば  法のり御蔵みくらと  いうぞ
釈迦や達磨も ひょいひょいと生む
 
お前達が お釈迦様 達磨大師と
あがたてまつっている者達も総て
女が生んだのじゃ
 
それでも 女は不浄か
 
これには集まった
住持や高僧達
誰一人反論出来なかったでしょう
 
 
厳しい修行に耐え  
禅道を貫く事は
確かに凄いことです
 
仏弟子は忍辱行にんにくぎょうを第一とする
 
仏道に身を投じたら
耐え忍ぶことを
一番に考えるということですが 
 
一休宗純がこのようなことを
解らないはずは、ありません
それを踏まえた上で
心のおもむくままに生きることこそが
 
人間本来の生き方だと
考えたのではないかと
私は思います
 
しかし その生き方が
人の迷惑になってはいけません
 
 
心の欲するところに従えども
のりえず
 
思うがままに生きても
正しい道からは外れない
 
その様に生きていく為には
道徳心を養い
人との調和を保ちながら
生活していかなければ
いけませんね
 
 
 
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